皇龍寺址(ファンリョンサジ)
新羅時代の最大、最古のお寺。現在は野原に礎石だけが残るのみ。礎石を見るだけでも、その雄壮な規模が想像できます。皇龍寺は新羅第24代真興王14年(553年)に着工し、4代王、93年という長い歳月にかけて完工した大伽藍。護国の念願を込めてお寺を建てられたという総面積は約20,000坪で東洋最大のお寺。かつて新羅三宝と讃えられた高さ80mの壮大な九層木塔は今は、その塔を支えた巨大な礎石が残るだけ、もし残っていたら世界でも類を見ない木造建築物になっていたはずです。伽藍の配置は日本の飛鳥寺によく似ています。新羅時代の金銅三尊丈六像と率居が描いたという金堂壁画もここにあったといいます。最近、べ・ヨンジュンさんの本「韓国の美をたどる旅」にも紹介され、日本の観光客にも人気が高い。
善徳女王陵(ソンドクヨワンヌン)
この陵は、新羅第27代王である善徳女王(在位632~647年、金徳曼)が祀られた場所であります。慶州市東南側にある狼山の南側稜線の中腹に位置しています。全周74m、高さ6.8m、直径24mになるこの陵は外形は土を丸く積み上げた形態をなし、下部には陵を保護するために2~3段からなる自然石の石築があります。善徳女王は新羅最初の女王で、瞻星台や芬皇寺、皇龍寺9重木塔を創建するなど、新羅文化の金字塔を打ち建てました。金春秋、金ユシンといった人物を率いて三国統一の基盤を築きました。『三国遺事』には‘私はこの日に死ぬので、その時はトウ利天に葬るように命じたが、群臣たちはそれがどこなのか分からず眠ると、王は狼山の南側だと言った。その後に王が亡くなると、群臣たちは王を狼山の日差しが良い場所に葬った。30年余り過ぎた文武大王19年(679年)、女王陵の麓に四天王寺を建築し始めた。仏典には四天王天の上にトウ利天があるとするため、その当時に善徳女王の霊妙な神聖さが分かった。’といわれます。
国立慶州博物館
ユネスコが世界文化遺産と指定した新羅千年の古都である慶州にある国立慶州博物館は、先史時代から朝鮮時代に到る遺物21万点あまりを所蔵してあり、その中で3,000点あまりを展示しています。展示館は考古館、美術館、雁鴨地(月池)館、特別展示館があり、博物館の野外庭園にも多くの遺物が展示されています。特に天馬塚から出土された金冠や宝剣、雁鴨池から掘り出された舟、また金銅三尊仏も有名です。
食事―森浦(サンポ)サムパプ
季節の野菜や魚、肉などの24種類以上のおかずを葉野菜やコンブなどに包んで食べるのがサムパプで、特にこの店の味は地元人に人気です。おかずは日替わりで、野菜は無農薬が自慢。
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