崇文区の正陽門外、永定門内大街の東側にある。皇帝が、文字通り天に五穀豊穣を祈る場所であった。明の永楽18(1420)の築造で、初めは天地壇といったが、嘉靖9年(1530)に四郊分祀の制度が定められ、「月壇」「日壇」「地壇」が建設されたため、天壇と改称し、清の乾隆・光緒両年に改修を行った。全体の構成は、天円地方(天は丸く、地は四角い)という思想に基づき、北側を丸く、南側を四角く造ってある。天壇というのは圜丘壇と祈穀壇の総称である。南に圜丘壇、北に祈穀壇が置かれるが、ともに中軸線上にあって、両者は丹陛橋と呼ばれる道で結ばれている。丹陛橋は北に高く、皇帝は南の圜丘壇から祈穀壇へ坂を上る形で丹陛橋を進んだがそれは昇天を象徴した。圜丘壇には圜丘壇・皇穹宇などが、また祈穀壇には祈年殿・皇乾殿・祈年門などがある。敷地は約270万㎡と広大で、現存する中国最大の祭祀建造物である。 |