頤和園
北京市の市街から約15キロ、海淀区にある。中国の名園のひとつに数えられる。歴代の皇帝の行宮・庭園であった。造園は十二世紀なかば。金代に始まるが、離宮として整ったのは、清の乾隆帝以後のことである。1860年に英仏連合軍によって破壊されたが、光緒14年(1888)に西太后が海軍の経費を流用して改修して現在名に改め、避暑地とした。総面積は290ヘクタールで、そのうち4分の3は昆明湖の水面である。頤和園は、西太后や光緒帝など清代末期の支配者のゆかりの地で、近代史との関係が深く、当時の重大な歴史的事件の痕跡を多数留める。辛亥革命後、1914年に一般公開され、1924年に正式に公園となった。
天壇
崇文区の正陽門外、永定門内大街の東側にある。皇帝が、文字通り天に五穀豊穣を祈る場所であった。明の永楽18(1420)の築造で、初めは天地壇といったが、嘉靖9年(1530)に四郊分祀の制度が定められ、「月壇」「日壇」「地壇」が建設されたため、天壇と改称し、清の乾隆・光緒両年に改修を行った。全体の構成は、天円地方(天は丸く、地は四角い)という思想に基づき、北側を丸く、南側を四角く造ってある。天壇というのは圜丘壇と祈穀壇の総称である。南に圜丘壇、北に祈穀壇が置かれるが、ともに中軸線上にあって、両者は丹陛橋と呼ばれる道で結ばれている。丹陛橋は北に高く、皇帝は南の圜丘壇から祈穀壇へ坂を上る形で丹陛橋を進んだがそれは昇天を象徴した。圜丘壇には圜丘壇・皇穹宇などが、また祈穀壇には祈年殿・皇乾殿・祈年門などがある。敷地は約270万㎡と広大で、現存する中国最大の祭祀建造物である。
鳥の巣と水立方
オリンピックで話題となった鳥の巣と水立方もご案内します。鳥の巣は2008年北京オリンピックを記念して、メインスタジアムの北京国家体育場(鳥の巣)をモチーフにして設計された人気モデルです。ファッションなデザインや抜群な素材を持って、多くの人から支持されています。水立方は水中の気泡をイメージした膜を組み合わせた外壁が特徴的です。夜になると、室内の光線がこれらの水色の膜から透けて外に発散し、スタジアムの外から見ると、まるで透き通った青い色の水晶を鑑賞しているような印象を受けます。
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