兵馬俑
「20世紀最大の発見」といわれる兵馬俑は1974年に農夫が井戸掘りの作業中、偶然見つけました。秦の始皇帝(紀元前246~210)の陵墓より東へ1.5kmに位置し、約2200年前始皇帝を永遠に守るために副葬されたものです。東西約210m、南北約60mの広大な広さのところに、兵士と馬の実物大の陶器が並べられています。陶俑・陶馬の総計は8000体以上と推定されています。1号坑のほかに、2号坑・3号坑も発見されており、全体でどれほどの数になるか判かっていません。              
兵馬俑(へいばよう)は、本来は古代中国で死者を埋葬する際に副葬された俑のうち、兵士及び馬をかたどったものを指す。現在では、陝西省にある秦の始皇帝の陵墓の周辺に埋納されたもののみをさすことが多い。ここでは、世界的に著名な始皇帝のそれについて記す。秦の始皇帝陵の一部として1987年、世界遺産(文化遺産)に登録されている。
西安城壁
西安市内を囲むレンガの城壁は、隋・唐の長安城皇城の基礎の上に、1370年(明代)から8年かけてレンガを積み重ねて築いたものである。中国の中世後期の代表的な城壁のひとつであるが 面積は唐の時代の9分の1に縮小されている。現在中国で完全に残る唯一の城壁で、東西南北に城門が設けられている。現在の城壁は、1983年からの修復を含む三回の大修復と、数え切れない小規模な修復がほどこされた。中心線の全長は約13.8キロ、高さは約12メートル、平均幅は約13メートルである。
世界を見回しても、西安のものほど完全な形で保存・修復されてきた城壁はない。市民はいま、城壁や城壁をぐるっと取り囲む環城公園と、切っても切れない生活をしている。
大雁塔
西安のシンボルである大雁塔は西安市和平門外から4キロの慈恩寺内にあり、初期は慈恩寺塔と呼ばれていた。652年(唐の時代)に玄奘(西遊記)が創建し、インドから持ち帰った仏典を納めた。初めは5階の塔であった。のち、武則天が建て直したが、戦火のため破壊され、五代後唐の長興年間に修築されて現在7階建てとなった。高さ64メートル。レンガ造りだが木造建築を模して造られた。 内部には螺旋階段が最上階まで続いている。各層には上部の丸い形をした窓があり、そこから遠景を眺めると西安の街を一望することができて、楽しいことである。塔の最下層にある2つの廚子には「大唐三蔵聖教序記」と「聖教序」の碑が置かれている。四方の門の上部に唐の時代に刻まれた仏像や天王像などの浮き彫りが施されており、唐代の書法、絵画、彫刻を見ることができる。特に西側の門上部の「線刻殿堂図」は唐代の仏教建築を知る上で貴重な史料となっている。
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