203高地
市街から北西に3キロほどのところにある標高203メートルの丘陵です。地名はその標高から付けられました。映画のタイトルとしても知られ、日露戦争の代名詞的な存在。決戦時には両軍あわせて1万人を超す戦死者を出したという。山頂には銃弾型の慰霊塔が立ちます。203に漢字をあて、乃木希典が書いた「爾霊山」の文字が刻まれています。
水師営会見所
1905年1月、戦いに勝利した日本の乃木希典と、ロシア軍のステッセル中将が会見を持った場所です。現在の建物は後に復元されたものです。当時の資料や投降書にサインした時の机などが展示されています。
東鶏冠山北堡塁
1900年から4年をかけ、ロシア軍が構築した堡塁の遺構。巨大で堅牢なトーチカで、日露戦争時には重要な戦略拠点であり、日本軍が苦戦を強いられた場所でもあります。むき出しの壁には無数の弾痕が刻まれ、榴弾砲の着弾によって開いた爆破口が生々しく残っています。塹壕、弾薬庫、兵舎などの内部の様子を見学できます。資料館や土産店なども併設されています。
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