鶯歌

鶯歌と言う地名の由来は言い伝えによると、1661年鄭成功(台湾開拓の英雄)がオランダ人と戦う際、この地にやって来たそうです。当時、濃い霧に包まれ、軍隊のいく手が阻止され、丘を登った鄭成功が前方に二匹の大きい鳥を発見し、大砲で打ち落としました。その中の一匹がこの地に落ち、巨石となり、石の姿が鶯歌(インコ)に似ているから、この土地を鶯歌と呼ぶようになりました。1805年呉さんの家族がこの土地で焼物を作ったのがその始まりで、たまたま、土地も良く、石炭も生産していたことから陶磁器の工場が次々と出来ました。最盛期には店の数が1000軒にも達したと言われています。

祖師廟

1769年に建てられ、清水祖師を祭っており、台湾の寺廟のなかで最も精緻な彫刻を誇っています。名画家の李梅樹教授が心血を注いで南中国の伝統芸術を取入れ、40数年かけて修復の結果、1988年初にほぼ完成しましたが、全て完成するのに後10数年かかると言われています。柱、壁、門などの彫刻の美は絶大の称賛を博しています。

三峡老街

三峡の民権路は1916年「市街改正」によって整備された町並みでした。従来の清の時代の町を毀して、改めて造られた町です。当時はちょうど日本本土ではヨーロッパのバロック様式がはやっている時代でした。そのために出来た街並は中国風やヨーロッパ風や日本風の三位一体の建築様式になりました。

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