天壇
崇文区の正陽門外、永定門内大街の東側にある。皇帝が、文字通り天に五穀豊穣を祈る場所であった。明の永楽18(1420)の築造で、初めは天地壇といったが、嘉靖9年(1530)に四郊分祀の制度が定められ、「月壇」「日壇」「地壇」が建設されたため、天壇と改称し、清の乾隆・光緒両年に改修を行った。全体の構成は、天円地方(天は丸く、地は四角い)という思想に基づき、北側を丸く、南側を四角く造ってある。天壇というのは圜丘壇と祈穀壇の総称である。南に圜丘壇、北に祈穀壇が置かれるが、ともに中軸線上にあって、両者は丹陛橋と呼ばれる道で結ばれている。丹陛橋は北に高く、皇帝は南の圜丘壇から祈穀壇へ坂を上る形で丹陛橋を進んだがそれは昇天を象徴した。圜丘壇には圜丘壇・皇穹宇などが、また祈穀壇には祈年殿・皇乾殿・祈年門などがある。敷地は約270万㎡と広大で、現存する中国最大の祭祀建造物である。
天安門広場
総面積40万平方メートル。世界で最も広い広場のひとつである。一度に五十万人を収容できる。南北は、天安門から正陽門までの880メートル。東西は、人民大会堂から歴史博物館までの500メートル。
 明清時代には皇帝の即位などに使われる聖なる場所であった。明・清の時代の地図に描かれている現在の広場は、南北に長い「T」字型で、両側には役所が並んでいた。1911年の辛亥革命以後一般に公開されるようになり、49年の建国の式典の時に広場として整備され、58年に人民英雄記念碑が、建国十周年の記念に人民大会堂、歴史博物館、革命博物館が、そして77年には毛主席記念堂が建てられ現在の姿になった。
  国旗掲揚のためのスペースが設けられており、毎日、儀仗兵により掲揚と降旗の儀式が執り行われている。掲揚は日の出の時間、降旗は日の入りの時間と定められている。
故宮博物院
旧称を紫禁城といい、北京市の市街中心部にある。明・清両代の皇宮で、明の永楽4年(1406)に着工、同18年に基本的に完成し、それ以来、560年余りの間に24人の皇帝が主となった。72万㎡余りの敷地に9000室余りの建物があり、延床面積は約15万㎡。周壁は長さ約3kmで、周壁の外側に幅52メートルの護城河(堀)がめぐらされている。東西南北に各一門があり、南が正門の午門、北が神武門、東が東華門、西が西華門である。殿宇の配置は大きく外朝と内廷の二つに分かれる。外朝は、太和・中和・保和の三大殿が中心をなし、その両翼に文華・武英両殿を配し、皇帝が儀式を行い、群臣を召見するなど公的な場所であった。内廷は乾清宮・交泰殿・坤寧宮と東六宮、西六宮などからなり、皇帝が日常の政務を処理し、后妃と皇子が生活し、祭祀を行うところであった。故宮の建物には気迫がみなぎり、豪壮華麗で、中国の古建築の粋を集める。勿論、博物館としても一級で収蔵品は百万点に及ぶとされる。北京随一の見所といってもよいだろう。1987年、ユネスコの世界文化遺産に登録。
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