銅車馬
始皇帝陵の西側20mのところから発見されたもので、当時実用の車の2分の1のサイズで作られ、併せて二台あります。一号車は先導車で、御者は腰に剣を帯び、側に弓矢などの兵器を備えています。二号車は温涼車といって、秦の始皇帝の専用車です。二台とも四頭立ての馬車で、豪華を極め、車体に美しい模様が描かれています。金銀製の埋めの装身具は1594点が残され、2000年前の金属加工の精密さにも驚かざるを得ません。
秦の始皇帝陵
秦の始皇帝陵は驪山の北麓にあります。高さは47m、一見普通の小高い山に見えるが、実は盛り土の墓です。陵の工事は70万の囚人を使い、36年を費やして、ようやく完成しました。始皇帝は紀元前2599年の生まれで、名は瀟政と言う。13歳で即位して、22歳で自ら政務を執った。当時の敵国を次々に滅ぼして、初めて中国を統一を果たしました。紀元前210年、巡事中に50歳で病死し、この陵に葬られました。1987年、世界遺産(文化遺産)に登録されてます。
兵馬俑坑
始皇帝陵から東へ1.5キロの地点に、世界八番目の不思議とも呼ばれる兵馬俑坑があります。1974年3月、かんばつに窮した地元農民が井戸を掘り始めたところ、二、三メートル掘ると変わった陶器の破片が見つかりました。考古学者の鑑定により、ここに始皇帝の地下近衛軍団が配置されていることが初めてわかりました。この偶然の発見によって、地下に二千年もの間、眠っていた世界を驚愕させる兵馬俑が日の目を見ました。東西約210m、南北約60mの広大な広さのところに、兵士と馬の実物大の陶器が並べられ、陶俑・陶馬の総計は8000体以上と推定されています。1号坑のほかに、2号坑・3号坑も発見されており、全体でどれほどの数になるか判かっていません。秦の始皇帝陵の一部として1987年、世界遺産(文化遺産)に登録されました。
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