媽閣廟 (A-Ma Temple)
中国南部や台湾などで広く信仰されている航海の女神「阿媽(アマ)」を祀ったマカオ最古の中国寺院。
正門、中国式鳥居と、4つのお堂から成り、一つのお寺に異なる神々を祀っていることから、多様な信仰に支えられた中国文化の代表例とされています。正殿が建てられたのが1605年といわれ、現在の4つのお社の構成は1800年代に出来上がったものです。
聖ポール天主堂跡 (Ruins of St. Paul's)
マカオのシンポルとして圧倒的な存在感を誇るここ聖ポール天主堂跡は、教会の前面だけが残る石造りのファサード(正面壁)とその隣に建てられた聖ポール大学の総称です。小高い丘にそびえ立つその姿はまさに荘厳。1602年から1640年にかけ聖母教会(聖ポール教会)として建築され、施工には中国人ほか、長崎から幕府の弾圧を逃れて渡ってきた多くの日本人キリスト教徒も携わりました。
ナーチャ廟 (Na Tcha Temple)
1888年に建立された神童ナーチャを祀る小さな中国式寺院。
当時、この地域で疫病が蔓延した際、その厄払いにこの廟が建てられました。 ナーチャは西遊記にも登場するやんちゃな男の子の神様。子どもながら武芸の達人、霊感退治で中国では人気があります。間口は5メートル程度と小さく、奥に子供の姿のナーチャが鎮座しているのが見えます。
聖ドミニコ教会 (聖ドミンゴ教会、St. Dominic's Church)
メキシコのアカプルコから来たドミニコ会スペイン人修道士3人によって1587年に建てられた、木造の簡素な礼拝所がその始まり。現在の教会は1828年に再建されたものといわれます。
コロニアル風バロック様式のファサード(正面外壁)は、クリーム色の壁に純白の漆喰で繊細な装飾が施され、マカオのファサードの中で最も美しいと評判です。
仁慈堂 (Holy House of Mercy)
セナド広場に面するこの美しい純白の建物は、日本や中国を管轄した初代マカオ司教ドン・ベルキオール・カルネイロが1569年にアジア初の慈善福祉施設として設立したもの。西洋医療を取り入れた病院や、孤児院、養老院も備えていたとされています。建物は何度も修復された後、1905年、ネオクラシック様式にマヌエル様式を加えた現在の姿に再建されました。 現在は建物の正面1階が公証役場となっています。
セナド広場 (Senado Square)
古くから街の中心であり、いまもイベントや祝典の開催場所として利用されているマカオを代表する広場。現在はここから聖ポール天主堂跡まで歩行者天国になっていますが、以前はコンクリート敷きでクルマが通り、バス路線が敷かれていました。 1990年代前半にはポルトガル本国から敷石職人を呼び、ポルトガルの石を使って現在のモザイク模様のカルサーダス(石畳)が敷設されました。
ネイザンロード (Nathan Road)
香港の九龍にある大通りで、尖沙咀から旺角まで南北に走っている。この通りには、店舗、レストランと旅行者があふれ、第二次世界大戦後のしばらくは、現在ではめったに使われない名称、ゴールデン・マイルと呼ばれた。始点は、九龍の南部ビクトリア・ハーバーから少し北の梳士巴利道 (Salisbury Road) との交差点であり、終点は北の界限街との交差点である。
男人街 (Temple Street、廟街)
香港でも有数のナイトマーケットとして知られている廟街(Temple St./ミュウガイ)。ここ廟街は、旺角(モンコッ)にある「女人街」に対して、「男人街」と呼ばれている。その理由としては、もともと女性物が中心の女人街と比べて、電気製品、骨董などといった男性の喜ぶような品揃えが多かったことからきているとも、またかつては労働者のためのマーケットであったことからとも言われている。
上海街 (Shanghai Street)
上海街は九龍島側の南北に走る大通り彌敦道と平行に走る道で、北は太子、南は佐敦まで続いている。油麻地(Yau Ma Tei)付近には香港在住の日本人奥様方もクッキンググッズのショッピングに来るという台所用品のショップが集まるエリア。通称「赤レンガの館」で知られている建物は、古物事務監督により保存されている建築物で、もと水務署浄水場の跡、浄水場技師の事務所だったそうだ。
女人街 (Tung Choi Street)
九龍半島の北部、旺角のショッピングエリア。世界でも有数の人口密集地帯であるだけに、この女人街あたりの人出はすごい。庶民の街なので物価が安いのが魅力だ。ここでは衣類やバッグ、靴、雑貨など女性用品ばかりを扱う露店が、およそ400メートルもぎっしりと並ぶ。露店は昼ごろから開き始めるが、女人街が賑わうのは夕方から夜にかけて。
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