龍山寺
バンカ(現在の萬華)は台北市でも開発の最も早かった地区です。更に台北第一の名刹龍山寺は地元住民の信仰、活動、集会及び指揮の中心となりました。伝説によると、昔ある人が観音菩薩のお守りを一本のガジュマルの大木に掛けておいたところ、夜になると突然に光だしました。更に不思議なことにはとても霊験あらたかで願いが叶えられました。そこで信者たちは、その場所に龍山寺を建立しました。1738年に工事が始まり、1740年に落成しました。龍山寺は200年以上の間に何回も修復されたり建て直されたりしましたが、寺の作りは「回」字形をしており、伝統的な寺廟建築の中でも、たいへんに高貴な配置となっています。広場では、地面に敷いた石材に注意して見てください。その中には切り口が整っていない物があり、とても古い歴史があることがわかります。昔台湾海峡は「黒水溝」とも呼ばれており、風も波も強く、移民たちは船倉に石板を積み船を安定させて安全に海を渡って台湾へやって来ました。その後、これらの石板は龍山寺の前の広場を舗装するのに利用されました。前殿から見て行きましょう、先ず、目に止まるのが、建物の前にある台湾でも唯一無二の銅を鋳って作った龍の柱、軒下の木彫、彩色画で、何れもとても生き生きとしています。特に屋根を支えている「網目斗拱」は台湾の寺廟では初めて創作された物です。その他、大門の左側の石彫りの窓の上に、精細な三国演義の物語が彫られており、右側には八角の竹節窓があり、竹の幹が彫られており、「竹報平安」(以前竹を焼いて破裂させ遠くの人に無事を知らせた)の意味を表わしています。正門は祭典の行われる時にしか開かれないので、ふだんは左側の門から入り、右側の門から出るようになっています。廟の中に入ると、大勢の善男善女が熱心に参拝しながら経文をよむ姿が目に入ります。前殿を出ると、正殿前の広くなった所に香炉があります。香炉には「ごん番抬廟角」(愚かな野蛮人が寺の角を担いでいる)という興味深い文字が彫られています。広くなった所の両側には、鐘楼と鼓楼があります。朝は鐘をつき、夜は太鼓をたたいて、読経や法会の時間を知らせます。石段から正殿に上がります。正殿の四方に廊下があります。廊下の壁画や石柱にはみな精巧な石の彫刻が施されており、詳しく鑑賞する価値があります。正殿に入ると、本尊の観世音菩薩が目に入ります。第二次世界大戦中、龍山寺は空襲に遭い、建物は全壊しましたが、神像は無傷であったために、信者から前にも増して篤く信仰されるようになりました。後殿と左殿、右殿に進むと、多くの神仏が目に入ります。「龍山寺神々の集会所」だと言う人がいるように、廟の中にまつられている神仏は非常に非常に多く、主神、従神合わせて約百体以上の神がまつられていると言われています。ここで注意したいのは後殿の前にある一対の人物の石柱です。作りが生き生きとしていて、他の寺廟が「龍」を石柱の題材とするのと違っています。この他左殿、右殿の入り口の外側の壁面には「紅毛番吹法螺」(紅毛外人が法螺貝を吹く)と彫られており、香炉に彫られている「ごん番抬廟角」と同じような趣があります。龍山寺はたくさんの芸術品を蔵しているだけでなく、一年を通して多くの祭典が行われており、とても賑わっています。ぜひ一度ご覧になってみてはいかがでしょうか。
華西街夜市
華西街夜市は龍山寺に近く、広州街、梧州街、西昌街などのナイトマーケットから成り立つ大きな夜市です。ピンからキリまで何でも揃っており、内外の観光客が一度は訪れてみたいと思う観光スポットの一つです。そもそも華西街は風俗産業が密集する場所として知られていました。しかし、台北市政府による風紀取締り後は観光地としてのスタンスが上がり、治安も以前に比べ大幅に改善されました。華西街夜市の入り口には、「牌楼」と呼ばれる中国風のアーチ型の門が建っています。道沿いにずらりと掛けられたは赤い宮灯は、華西街ならではの光景です。道の両側に並ぶ店はどれも老舗で、口コミ通りのクオリティを保っています。高級レストランも店を構えており、日本人観光客に大変な人気を呼んでいる台南担仔麺もここが発祥の地です。そのほか、「大鼎肉羹」(豚肉のあんかけスープ)や「両喜号魷魚羹」(イカのあんかけスープ)などの「小吃」も強い人気があり、店内は席を確保するのに必死なほどの盛況ぶりましだ。夏の暑い盛りには、かき氷やフレッシュフルーツジュースなどが飛ぶように売れ、冬の寒い時期には、その時期折々の健康増進食品が発売されるたびに買い物客でごった返します。
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